日本の食事の変化について④

いわゆる和食であった日本の食事の洋風化には、“洋食”という言葉が重要になります。

狭義の洋食は、幕末から明治期にかけて生まれました。西洋人のための西洋料理店が発祥です。それらの店の日本人料理人たちは、のちに自分の店を開き、西洋料理(洋食)を広めました。また日本の陸海軍は西洋式の料理を給食に取り入れていました。こうして徐々に日本人に知られるようになった西洋料理は、従来の日本の食事(和食)に対して「洋食」と呼ばれるようになりました。

また、それまで日本人は一般的に獣肉食を忌避していたため、牛肉や豚肉を主体とする西洋料理には大きな抵抗感がありました。しかし明治政府が国民の体格向上のため肉食を奨励したり、明治天皇が自ら牛肉を膳に上せられたという新聞報道などもあり、庶民のあいだでも牛鍋などの形で徐々に肉食が始まったとのことです。

しかし明治時代の日本において、西洋料理の食材を完全に揃えることは困難で、しばしば代用品が使われていました。また日本人向けにアレンジが加えられることもありました。そうして生まれた日本的な洋食の代表が、ポークカツレツ、カレーライス、コロッケ、カキフライ、エビフライ、オムライスなどです。ポークカツレツは、「とんかつ」と名を変え、茶碗飯と味噌汁と漬け物をセットにした日本料理になりました。

近年日本食が変わり和食から離れて・・・。といいますが、明治維新のころ洋食が日本に入り徐々に広まったのですね。でもやっぱりお米文化はなかなか変わりません。また洋食という形式に変わっても一汁三菜のスタイルも変わらないものです。日本古来の食事のスタイルは変わりません。一番変わったのは“肉食”という所でしょうか。明治維新からの日本の食事の変化も劇的ですが、戦後はもっと変化してきました。Wikipedia 「洋食」などより引用しています。IMG_3729.JPG

心臓血管外科医 菊地慶太